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最近TVで、偶然見かけた料理研究家の話に、
思わず感激し、色々と考えさせられる。
その料理研究家とは、
「辰巳芳子」先生である。
(↑ クリックすると、オフィシャルサイト見れます)
食=命
漠然に分かってはいるものの
ただ、作って食べるだけの問題ではない。
例えば、「体にしみわたるスープ」
スープとは、「最も母乳に近いもの」
(先生のお言葉より)
何層にも重なった栄養で、細胞が生まれ代わり
健康な体をつくる。
また、しみわたるようなスープで、
食べる側・つくる側とで 「絆=愛」 をつくる。
スープ力、あらためてすごいなと思った次第。
色々な話の中で一番、ググッときた言葉は
「我を捨てること」
(我を捨てると、良いものが入ってくる。)
物と物事に向かっていく時に
「自分」というものを引っ込めなければならない。
物に従っていくのだから。
料理の達人がそのようなことを
おっしゃったことに、驚いた。
我を捨てるとは、執着することから離れること。
「無」 を追求するとは簡単でありながら、難しい。
そこで、「料理」での我を捨てて、よいものをつくる意味と
「ナンバーズの我を捨てる」の意味は少々違いますが、
「選んで、つくる」 意味では、同じとすることを前提とし
毎日予想している私が思ったこと。
(↓ ここから、私の我欲)
予想しているうちに、数字を 「固定観念」 で
決め付けている部分がある。(=我欲)
これを 「無くすこと」 がとても
重要なのではないのか・・・。
例えば「0136」「4679」
ここ最近、続けて出現した。
ナンバーズではよくあることではあるが、
もし予想の途中でまったく同じか、
近い数字がでてきたとする。
それを、自分の固定観念で
予想からハズしている部分があると
いうこと。
その他、配当狙いで選択する場合もある。
(まさに欲の塊!)
料理の先生のいい話だけにとどめておきたかったが、
そんなことを思うこの頃。
そう思うのも予想中、だてに 「神社・仏閣」 を
まわっているわけではないのだと、気づく。
「我を捨てること」
何事も、つくっていく上では
実行していきたい。
ナンバーズを考えていると1週間が早い・・。
金曜ということもあり、当選で〆たい。
縁起担ぎ、以前記事を書いた
地主神社から新たにキーワードを見つける。
地主神社の辺りは、古来 「名勝蓬莱山(宝来山)」
と呼ばれていた。そこで、「蓬莱山」を調べていくうちに
京都の「大徳寺」へたどり着いた。
まさに、大徳寺は山号「龍宝山」と称する。
大徳寺は、あの一休さんでおなじみ
「一休禅師」が再興した寺。
さらには大徳寺の塔頭の中で一番古い
「龍源院」という建物がある。
庭園が有名。
「龍から龍へ」ということで
もちろん、大徳寺の法堂に狩野探幽筆
天井に「龍」の図がある。
ところで、大徳寺には牧谿筆掛け軸が必見。
<観音図・猿図・鶴図>と3つの水墨画がある。
「猿=36」「鶴=26」
いずれも、前回・前々回と
ナンバーズ出目である (←こじつけ)
ならば、 「観音=50」 はどうだろうか・・。
※ちなみに「虎」もある。
キーワード読みはさらに続く
・国宝、後醍醐天皇宸翰御置文 がある。
元弘三年八月廿四日 (元弘3年は1333年にあたる)
「宸翰」(しんかん)は天皇の直筆の意。
月曜の<無意識出目=1333>がここでも
でてきた。
今週の月曜から火曜のナンバーズ4結果
「3348 ⇒ 0246」
先ほどの観音語呂 「05」 を含む、
「0457」
押さえとして、「0267」 を
<影武者・桁の上下>対策した数字群。
皆様のご当選祈っております。